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自然の恵み村ホーム > 加計呂麻(かけろま)シリーズ > 特集
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「東洋のガラパゴス」と呼ばれる、鹿児島県奄美大島に隣接している加計呂麻島。国の特別天然記念物のアマミノクロウサギ、県鳥のルリカケス、日本でも有数のマングローブ原生林など貴重な動植物の宝庫です。
産業面では、黒糖焼酎等の製造をはじめ、農業が中心で、サトウキビを基幹作物に、にんにく等の野菜や畜産との複合経営が行われています。
水産業では、大島海峡の静隠な海域を利用しての真珠の養殖や、クロマグロの栽培漁業プロジェクトが行われています。
観光面では、シーカヤックマラソン、伝統芸能の諸鈍(しょどん)シバヤ、安脚場園地(あんきゃばえんち)などがあります。
また、恵まれた自然を探索するエコツアーなど人気があります。 |
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加計呂麻の塩を皆さんにご紹介し、加計呂麻島の秘訣を探ろうと島を訪ねました。8月28日大阪伊丹空港を飛び立ち1時間40分、奄美空港に到着。どんよりと曇りの日が続く今年の大阪の空と大違い、すっきりと晴れ上がった奄美の空気は強烈に熱く、別天地の感がする。空港には奄美本島最南端の古仁屋からJA奄美の伊地知さんが迎えてくれていました。
彼の車で島を下り、約2時間半で古仁屋の港に着きました。古仁屋という町は、昔から交通の便が悪く、奄美の中でも独特の文化と地域性を持っていたそうです。その港からさらに海上タクシー(タクシーでも漁船)で30分、加計呂麻の瀬相の港に到着。大阪を出てから約6時間、この島では、すべての時間が止まっているのか、ゆっくりと、ひたすらゆっくりと流れている不思議な感覚に陥りました。
加計呂麻はかなり大きな島で、車で一周すると3時間はかかるほどで、少ない海岸線にポツリポツリと民家が建ち、後ろは野生の樹木で覆われた厳しい高い山がそそり立つ環境です。人口は1700人ほどで、その人口の平均年齢が65歳。60歳は若く70歳で野良仕事は当たり前、80歳でも本当に元気に畑仕事に精をだし、現役で活躍しています。90歳でも裸足できび畑で毎日農作業をしている名物ばあさんに偶然出くわした。車を止め、写真を一枚お願いすると、はにかみながら、頬被りをかぶり直し身づくろいをして、ポーズをとってくれました。
いくつになっても女性は女性で、かわいらしくほのぼのとした気持ちにさせられました。彼女は「おもいっきりテレビ」で取材された、島ではちょっとした有名人でした。真夏の太陽で照り返すアスファルト上を平気で裸足で歩いていました。夜になると、娯楽施設が皆無の島では誰かの家に集まり、酒を酌み交わし、蛇味線に合わせて踊る生活です。あくせく忙しなく働いている都会の人間からすると、自分の人生の価値を考えさせられる思いでした。 |
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亜熱帯地方の奄美大島では沖縄と同じようにサトウキビが植えられ、砂糖を作っています。この昔ながらの小さい製糖工場は、唯一時代の流れに取り残された離島の加計呂麻島にだけ、過去の遺物のような形で残っていました。奄美大島の「影の島」「かげろうの島」といわれ、それが訛り、「かけろま」といわれるようになり、当て字が現在の地名になりました。
この加計呂麻では大手企業が入る余地がなく、幸いにも昔のままの状態がタイムトンネルのように残っていました。キビ畑も機械収穫出来ないほど小さく、収穫は全て手作業、鎌で刈り上げ、担いで畑から軽トラックに積み込む重労働です。それを高齢の男女が元気に楽しげに働いています。
また、島では昔ながらの集落単位の製糖工場が残っており、伝統の手順と熟練の技術者の感で黒糖を作っています。製造された「純黒糖」は都会には出荷されることはなく島で消費されます。最近東京の一部の店で売られるようになりましたが、数に限度があり一般的に見かけることはほとんどない貴重品です。
味はミネラルたっぷりで濃厚な味が心地よく、今まで食べた黒糖とはまったく一線を画した味わいです。(次回詳しく紹介)きび酢はこの黒糖製造過程から偶然に出来た自然の産物です。
400年前黒糖を作った後、釜を水で洗った時、釜に水が残ったまま仕事を終えました。翌日作業場に入ると釜に白い泡がぶくぶくと沸いており醗酵していました。これがきび酢になったのです。 |
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味噌もお酒も酢も全ての発酵食品は麹(こうじ)菌など醗酵剤を加えて作られます。たとえば日本酒は米に麹(こうじ)菌を加え醗酵させます、でんぷんを餌に醗酵が進むとその代謝物を餌とする酵母菌を投入します。酵母菌が醗酵するとアルコール発酵となり、アルコールが出来るのです。さらにその状態に酢酸菌を加え醗酵させると酢になります。加計呂麻のきび酢は何も加えず、サトウキビと空気と水と温度に任せます。
製糖過程は一番釜で絞ったきびの汁を煮立てアク抜きをします。二番釜に移しさらにアク抜き。ここから黒糖ときび酢に分かれます。黒糖はさらに三番釜で丁寧に煮立てます。この時の職人の混ぜる速度と火加減で品物の良否が決まります。今では出来る人が限られる熟練の技で、島でも数人しか出来ません。きび酢は二番釜から移し、亜熱帯雨林から湧き出た自然水で糖度19度から20度までに希釈します。井戸水でも水道水でもだめで、この沢から湧き出る自然水でしかうまく出来ないそうです。後はただ単に土中に3分の1ほど埋め込んだ大きな瓶に移すだけです。ここからは人の手は入らず自然に任せます。
すると加計呂麻の空気中に浮遊している、酢酸菌・酵母菌が自然に醗酵してくれるのです。翌日には何もしていないのに、瓶の中は真っ白の泡で覆われ、まるで沸騰しているかの様にピチピチと小さな音を立てて泡が噴出し醗酵します。驚くばかりです。1年後新しい仕込みのため、1年物の酢はJAの貯蔵庫に移され、そこで2年寝かせます。
最後には透明感のある、あめ色の美しい酢になるのです。自然発酵と呼べるのは、世界で3種類だけです。ハワイのパイナップルビネガ−、イタリヤのバルサミコ酢、そして加計呂麻のきび酢だけと伺いました。日本のどこで作っても作ることが出来ません。沖縄でも鹿児島でも出来ないし、奄美本島でさえ作る事は出来ないのです。加計呂麻の土と空気と水、それに温度が必要なのです。まったく自然にゆだねて、自然に任せ切って作るには環境が合致しなければ出来ないのです。 |
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サトウキビの肥料は堆肥のみの栽培です。後は天然の湧き水と空気と温度だけです。まろやかな味わい、鼻にツーンとくる匂いもなく、やわらかい味。それでいてサトウキビの甘さがほのかに感じられるのが特徴。サトウキビ栽培から製品まで4年の時間が必要で、島では3軒の農家だけで作っています。農家で1年熟成さし、その全量をJAが島の文化保存事業目的として全量買い上げさらに2年貯蔵庫で熟成させます。
きび酢は、崟昭二さん(たかし しょうじ) 西田漢冶さん(にしだ かんじ) 上田博和さん(うえだ ひろかず)の3名が保有する製糖工場で生産されます。製糖工場といっても皆さんが想像する工場とはまったく違います。小さい小屋のような工場に昔ながらの絞り機が置かれ、雑然と釜が一番から三番まで並んでいます。
燃料はサトウキビの絞りかす。外部との境界になる壁は開けっ放しです。一見するとそこで砂糖を作っているとは都会の人間からは判りません。その工場の横に貯蔵庫があります。JA経由で国の助成金で建てられた貯蔵庫はきっちりと外部と隔離できるように壁があり、厳重に鍵がかけられています。内部の壁は醗酵菌でびっしりと黒い膜が出来ていました。
生産者の話では、毎日瓶の中の酢が変化をしていくのを見るのが何よりの楽しみだそうです。最初の二日は沸騰したかのようにぶくぶくと泡を吹く自然発酵。丁寧にアクを取り除き1週間ほどでアルコール発酵、さらに1週間で酢酸発酵します。落ち着き始めると熟成し1年で酸度6〜7度になります。そうなって初めて農家醗酵所からJA貯蔵庫に移します。その時には鼻を刺すような臭いが、次第に柔らかくなり、色が綺麗なあめ色に変化してくるそうです。 |
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現在、加計呂麻の「さんご塩」の生産者が高齢で残念ながら生産が不安定で、安定的に供給が難しい状態になりつつあるなか、幸運にもここ加計呂麻島で1人の塩職人と出逢いました。瀬相の港から来るまで30分。猫の額ほどの海岸線から厳しい急な山道を登ります。周囲は原生林が人の足を踏み入れることを許さないぞと言わんがばかりに覆い茂っていて、山の頂上辺りから丁度港の反対側を見下ろす辺りで、やっと海岸が見え、その山道を下った海岸線に本田明博さんが代表を務める加計呂麻塩技研がありました。海岸線の防波堤のすぐ傍らなのに海が見えないほど原生林が覆い茂る場所でした。そこにはひっそりと小さな小屋と塩釜小屋がありました。
迎えてくれた本田さんを見て、驚きました。風貌といい、顔といい、髪型、体型すべて武田鉄矢そのものでした。低い、小さな声でぼそぼそと喋る喋り方は金八先生とは違いましたが、取材の間中、武田鉄矢のお兄さんのような錯覚に陥りました。年齢をお聞きすると、私と同じ53歳でした。
彼が塩作りを始めた契機は、村の長老たちが昔の塩は旨かったが、今の塩は味がない、誰か昔の塩を作ってくれないかと話したことでした。4年前から始めたそうです。事務所兼袋詰め作業場の建物の屋根にパイプを廻らし、一階のタンクからポンプで海水を巡回させ、太陽の熱である程度まで海水の塩分濃度を高めます。
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もちろん海水は海から取ります。彼がこの場所を選んだのは、周辺に集落がなく、その沖合いに生活排水が絶対入り込まない地区だからそうです。その沖合い800メートル、水深30メートルから海水を汲み上げ、このタンクに入れます。こうして、屋根で一週間巡回させ自然の太陽熱で煮詰めます。さらにその海水を4日間休まず炊いて作ります。一釜で15kgから20kgの塩がやっと出来るそうです。
いろいろお話をお聞きすればするほどその苦労が大変だと思いました。たかが塩、されど塩。1kgの塩が出来るまでに大変な労力がかかっていており、大切に使わないと失礼になると感じました。一度釜に移された海水は完成まで絶対に火を落としてはいけません。4日間の間、1日24時間絶やすことなく火を焚き続けなければなりません。
2時間半から3時間おきに薪をくべる必要があります。夜も当然で、目覚まし時計を抱きながら仮眠をするそうです。自宅には夕方、風呂と食事と着替えで帰るだけで、そのほかは塩釜の番をしているそうです。その為、お盆も正月もない生活が4年も続いています。大変な仕事です。大きな収入にもならないのに、この仕事を根気欲情熱を持ってやられています。
さらに彼は火を焚く薪にもこだわりを持っています。廃材だと化学接着剤が使われているため、焚くときダイオキシンを発生し、塩に付着する危険を危惧しています。その為、自分の山の原生林を切り出し、運搬し、乾燥させて使っています。どうしても間に合わないときは廃材を利用しますが、ベニヤなどの合板は全て破棄し、一枚板のみをくべるそうです。 |
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