自然と人間の技が織り成す奇跡の塩
様々な野鳥たちが群れ集う自然の楽園、フランス・ブルターニュ半島南部ゲランド。この地ではるか昔から引き継がれてきた製法を熟練の職人により守り続けられて造られる塩があります。それが、「ゲランドの塩」です。
ゲランドの塩のもととなる海水は、栄養豊富な大西洋の海水を干満の差だけを利用して、塩田に取り込まれます。取り込まれた海水は太陽と風で徐々に水分が蒸発していき、塩田の中で結晶化します。この間約1ヶ月。塩の結晶は、さらに太陽と風の力で蒸発します。
しかし、太陽の力と風の力だけで自然に塩ができるわけではありません。ゲランドの塩づくりには、パリュディエと呼ばれる塩田で働く塩職人の力が欠かせません。1,800haの塩田に300人近く従事する塩職人が、毎年6〜9月のわずか3、4ヶ月の間、全て手作業の塩づくりに励みます。
この間に雨が降れば、場合によっては海水を取り込むところからやり直しと、太陽の強さ、風向きなどの自然条件の変化を読みながらの重労働なのです。
ゲランドの塩物語〜民族の誇りと伝統
それぞれが固有の伝統を持つフランスの諸地方の中でも、ブルターニュ地方は際立って強い個性を主張する地方である。それは、ブルターニュ地方の歴史に根ざした理由があった。最も大きな理由は、ヨーロッパの先住民族といわれるケルト文化の伝統を色濃く残し、かつそのことを自らのアイデンティティーとしている点。そして、16世紀にフランス王国に合併されるまで、中世の長い間ブリュターニュ公国として独立した国家であった点。
その後も現代にいたるまで、自治権利を主張し、パリに対抗するなど、ブルターニュは一貫して誇り高き辺境の地であり続けるのである。紀元前5世紀ごろにはケルト人がすでに住んでいたといわれるが、その後5世紀末にイギリス南部を追われたケルト人が海峡を越えて大挙ブルターニュ半島西部に渡来してきた。こうしてブルターニュは、アイルランドや英国のウェールズ地方と並んでケルト文化の中心の地となっていくのである。ブルターニュ出身者は、ケルト系のブルトン人(ブリュターニュ人)であるという意識が今なお強く、民族衣装、音楽、民話また風俗・習慣などに独自の文化を誇っている。
自然の力だけを借りて
「ゲランド」。ブリュターニュ地方の、この非フランス的な響きの都市は、中世には塩の生産と貿易で、ヨーロッパ全域に塩を輸出していた大変栄えた街であった。ゲランドの塩田は、2000年以上前にケルト人によって始められたといわれている。塩田の特徴的な構造は、空から見ると螺旋を描いているようにも見え、見方によってはケルト特有の螺旋文様にも見える。
大西洋のきれいな海水を干満の差だけを利用して、複雑な水路を経由させながら塩田に取り込む。ゲランドを含むこの一帯は、政府により自然保護地域に指定され、工場廃水はもちろん農業用の農薬の使用も厳しく制限されている。当然のように、数多くの種類の鳥や小動物も生息し、自然の宝庫ともなっているのである。そのため、ゲランドの塩には時として小さな虫や鳥の羽が潜んでいることもあるので、日本のマーケットでは要注意!
フランスの生産者側は、「自然の賜物だからしかたない。それが嫌なら精製された普通の塩を使えば」と突き放したような言い方をするわけである。自然のままであるということが、重要なアイデンティティーでありゲランドの塩がゲランドの塩である所以である。
複雑な水路を経て、いくつかの濃縮塩田を風の力と太陽の光だけで蒸発させて、最後に採塩池に引き込み結晶化を待つ。
塩職人「パリュディエ」たち
ゲランドの塩田で働く職人は、パリュディエと呼ばれる。19世紀後半には、2000人以上の塩職人が働いていたが、厳しい労働環境により1960年代には塩田業そのものが死滅に近い状態まで追い込まれたこともあった。しかし、その後時代の流れでエコロジーが意識され始めると自然保護運動の高まりのなかで、ゲランドの塩も見直されることとなり、現在は1,800haの塩田に300人近くの職人が伝統を守りながら塩作りに従事している。
塩の収穫時期は、その年の気候によって変化するが、おおむね毎年6〜9月の夏の間である。わずか3〜4ヶ月の労働期間であるが、この間毎日天候を見ながら早朝から水量を調節したり、あぜ道の状態をチェックしたり、結晶化した塩を収穫したり、それを運んだりと大変な重労働である。この間に雨が降れば、その量によっては作業は海水を取り込むところからやり直し。水路の間の畦道にカニが小さな穴をあけただけで、水の流れも変わってしまう。
太陽と風の力だけで自然に塩ができると思ったら大間違い。陽光の強さ、風向き、湿度など自然条件の変化を読み、それこそ昼寝をする時間もないほどの12時間労働である。しかし、この大変な作業と熟練塩職人のおかげでミネラル豊かな美味しい塩が食べられるのである。
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